ポケモンの楽しみ方を振り返る

僕がポケモンを知ってから、ポケモンサークルの代表を1年間務めることになり、代表を降りて今に至るまで、どのようにポケモンと関わってきたかを振り返る記事。

 

5~6歳頃:ポケモンの存在を認知

このころ通っていた病院で、小さい子供は診察終了時にポケモンの四角いシールがもらえた。左右に攻撃と防御の数字が書いてあってバトルできるやつ(調べたら最強シール烈伝というらしい)。数字が好きだった自分はそこから興味を持ち、待合室においてあった『ポケモンをさがせ!』を読んだり指人形で遊んだりした。のちアニメを2話分くらい見て、それが自分のポケモンに関する知識全てだった。薄い記憶を頼りに調べたところ、DPの126話(トレーナーズスクールでスズナが授業する回)と167話(海辺でポケモンスクールを受け持つことになってヒカリがコンテスト技を披露する回)だった。ミミロルが冷凍ビームを撃っていたので、当時冷凍ビームをノーマル技と勘違いしていた。

 

小学二年生の誕生日:初めてのゲーム

誕生日に大きめのおもちゃ屋でほしいものを探していたところ、父親にハートゴールドを勧められた。DSとソフト、攻略本を買ってもらい、そこから毎日遊んだ。小学生の時はゲームに一日30分の制限がついていたので、ほとんどは攻略本を読むことに費やしていた。草むらを壁と間違えて最初の町から出られなかったり、最初のロケット団イシツブテにボコられたりと散々だったが、それなりに楽しんでいた。御三家が初めて進化した時は嬉しくて友達に自慢していた(かわいい)。

 

小学三年生:ポケモンBWを購入

世代。ここからアニメをちゃんと見るようになったし、ポケモンスマッシュも毎週見てたし、クリスマスにはポケモンカードのはじめてセットを買ってもらった。一年後にはポケモンセンタートウホクがオープンし、オープン日に5時間並んで入った。オープン記念でポケスマのミサキ(桃瀬美咲さん)がポケモンのタイプを当てる企画をやっていて、自分も一瞬ポケスマの放送に映っている。BW2、XYも買って遊んでいたが、XYが発売してしばらくして、小学校を卒業して中学に入学すると同時に周りにポケモンをやる人間が一気に減り、アニメやポケモンゲット☆TVも見なくなった。小学生の頃のゲームとは一種のコミュニケーションツールであったため、周りにやる人がいなくなれば熱が冷めるのは必然。なお、相変わらずゲームは一日30分である。また、BW2発売あたりから、ポケモン以外のゲームにも触れるようになったため、毎日ポケモンをしていたわけではない。

 

中学一年生夏:三値を知る

自分は小学一年生から進研ゼミをやっていたのだが、進研ゼミ中学講座が始まると同時にそれ用のタブレットが配られた。他の進研ゼミをやっている人と交流できる掲示板があったり、問題を解くと強くなるカードバトルのようなものがあり、回線の遅さに悩まされながらも楽しく扱っていた。(この頃の掲示板での言動を振り返ると、当時SNSがなくてよかったと思える。)ただ、あるときこれがネット検索、さらにはYouTubeの閲覧が可能であるということに気づいてしまった。これが自分のオタク人生の始まりだったのだが、それはまた別の話。Youtubeでゆっくり実況を見ることにはまっていた自分は、ある日ポケモンのゆっくり実況動画を見ていたところ、このポケモンは素早さ種族値が○○だからスカーフを持つとこのポケモンより速くて云々といった文言を目にし、興味を持って調べてしまい三値をはじめ色々知った。数字やデータが好きだった自分のポケモン熱を復活させるには十分だった。ゲーム熱は復活したが、アニメは触れなくなっていた。カードはまだ細々やっていた。なお、中学生時代はゲームは一日一時間までであったが、タブレットの閲覧時間はその限りではなかった。

 

三値を知るきっかけになったゆっくり実況の作者が秋雨秋風さんです。ポケモンだけでなく、幻想人形演舞の実況なども楽しく見させていただいておりました。もう新しい動画を見られないのは残念ですが、当時の自分に間違いなく影響を与えてくださった人物です。

 

中学一年生秋:厳選を始める。ORAS発売

XYで初めての孵化厳選は初めての相棒であるヒノアラシだった。高個体値の親がいなかったので、とりあえず孵化をして1Vがでたらそれを親にし、2V、3V...と増やしていって控え目A抜け5Vが生まれるころにはヒノアラシで10ボックス埋まっていた。XYで初めて孵化厳選を行ったが、ヒノアラシで力尽き、XYでレーティングバトルをすることはなかった。ORASが発売された後、3Vメタモンを数匹捕獲し、ようやく理想固体達でレーティングバトルに潜るようになった。レートは1300~1600くらい。強いポケモンだけでなく、マイナーなポケモンで戦うことも多かった。ただ厳選という作業が嫌いなので、準伝の厳選、めざパの厳選など大変なものはやらなかった。厳選が嫌いな理由は単純に面倒でつまらないから。この考えは今もある。

 

高校一年生:ポケモンをほとんどやらなくなる

このあたりから、アニメはもちろん、カードも全くやらなくなった。ゲームはちょっとレーティングバトルに触れていた程度だった。USUMのプレイ時間は50時間である。ストーリークリアしてSMから高個体値ポケモン輸送してちょっと対戦してやめた。ポケモン対戦がつまらないわけではなく、厳選などの作業をしなくてもスマホを手に入れたことで他に手軽にできるゲームが多すぎた。(この辺の問題、今のテラピースで同じものを感じてちょっと怖い。)

 

大学一年生:ポケモンサークルに入る

大学に入学するにあたってネットでサークルを調べ、一番しっくり来たのがポケモンサークルだった。それにあたって自分用のSwitchと剣盾を購入した。この頃Switchが品薄で、何度目かの抽選で運良く入手できたが、それまでしばらくは家族用のSwitchで遊んでいた。サークルに入ってからはゲームだけでなくカードも再開し、ガチガチに上位を目指すわけではないがゆるく続けることができた。大学二年生の終わりが近づいてきたころ、サークルの代表をやることになったが、このスタイルは変えなかった。代表を降りても特にやることは変わっていない。今に至る。

 

総括

全体としてポケモンに深く触れていた時期に共通するのは、周りに同じような熱量を持っている人がいたことである。ポケモンというゲームは、対戦することにおいて、間違いなく手軽にできるゲームではない。もっと気軽にできる面白いゲームは山ほどある中、ポケモンを選ぶには何かもう一つ後押しが必要なのかもしれない。それが自分の場合、一緒に遊ぶ人だったのだろう。その点今後どうなるかに不安はあるが、少なくとも今は楽しく遊べることに感謝してポケモンを楽しみたい。テラピースだけなんとかしてくれ。

このブログ(?)の存在理由

2023年3月、大学三年の春休みにブログを立ち上げました。

 

今更立ち上げた理由は大体以下の通りです。

・春休みで時間があった。

Twitterでつぶやくには長すぎる自分語りの書きだめが欲しかった。

・大学のレポート以外で140文字以上の文章を書かないため、リハビリがしたかった。

 

基本的に思い立った時に自分の考えやこれまでの活動をまとめたりイベントがあった時に感想をまとめたりする予定です。Twitterで通知もせずしれっと更新しようと思います。イベントの告知、ポケモンの構築記事等、見てもらうことが前提のものを書く時があれば流石に例外です。逆に言うと普段の内容は人に読んでもらうことよりも自分で読み返すことが一番の目的です。

 

自己紹介はしません。これ読んでる人は多少なりとも僕のことを知っている前提なので。しいて言うならこのブログ全体が自己紹介になるような方向性でブログを書きます。

 

この記事の内容も気が変わったらサイレント修正します。